2008年04月11日
SLと私(2007/6~2008/3編) 第二回
7月に入ってから私は海外で主にキャンプと観光をして過ごし始めた。英語は得意では無いし、英語以外の言語を使う人も多かったので少し大変ではあったけれど、カナダ人と話したりドイツ人にチップを貰ったりという新しい刺激は多くてそういう意味では恵まれていた。海外のポスターや間違った日本の世界観(これは元々洋ゲーではいつものことで驚きは無かった)なども面白かった。しかし、どこに行っても建物のクオリティは低かったと思う。
7月も後半に入った頃sette amoreの募集記事を見つけ、SL内で働くとはどんなことなのかということに興味を持ち応募した。それ以外にも放浪生活で友人というものが居なかったので、日本人の中に友人を作ってそっちの情報も得たいというのもあった。setteに勤務してからはやることも無いし、放浪にも半ば飽きていたのでほぼ毎日数時間勤務することになる。でも思っていた労働というのとは違い、SL内の労働は退屈に耐える忍耐力が必要だと思った。常にお客が来るわけではないので、簡単に言ってしまえば個人サイトにチャットルームを設けて、そこに常駐して誰かが入室するのをひたすら待つという感じに近いと思う。setteで勤務しながら他の時間は放置キャンプをし、8月もそんな感じで過ぎて行った。
9月からsetteがオープンさせたRLのNYにあるバー「bozu」と言うお店をモデルにした場所でマネージャーをすることになり、そこでの仕事は今までのと違いお客が多くて新鮮だった。とは言え元々私はクランやギルドを運営はしてはいたが、それほど人と会話することは好きでは無いので凄く楽しいという感じではなかった。そんなときにやって来たお客の中にArcard(以下、先生)さんが居た。先生は病院を建設すると言っていた人で、私も先生の病院建設を見学したりして刺激を受け、それからものづくりの方法を勉強し始めた。私は今まで他のゲームでのレベルデザインのエディターを使ったり、The Sims2で家を作り公開していたこともあって、元々建物には興味があったのだが、土地を持たないので砂場で作るのが面倒でやっていなかった。そんな私の事情を知ってのことか、setteのオーナーのLoveさんはsette内で建物を作ることを許可してくれた。そのときに作り始めた寮は実は未だに完成していないのだけれど、それが私の建築の始まりでした。この時点で3masさんにもものづくりの基礎的な情報を貰ったりもした。
建築生活については次回以降。
7月も後半に入った頃sette amoreの募集記事を見つけ、SL内で働くとはどんなことなのかということに興味を持ち応募した。それ以外にも放浪生活で友人というものが居なかったので、日本人の中に友人を作ってそっちの情報も得たいというのもあった。setteに勤務してからはやることも無いし、放浪にも半ば飽きていたのでほぼ毎日数時間勤務することになる。でも思っていた労働というのとは違い、SL内の労働は退屈に耐える忍耐力が必要だと思った。常にお客が来るわけではないので、簡単に言ってしまえば個人サイトにチャットルームを設けて、そこに常駐して誰かが入室するのをひたすら待つという感じに近いと思う。setteで勤務しながら他の時間は放置キャンプをし、8月もそんな感じで過ぎて行った。
9月からsetteがオープンさせたRLのNYにあるバー「bozu」と言うお店をモデルにした場所でマネージャーをすることになり、そこでの仕事は今までのと違いお客が多くて新鮮だった。とは言え元々私はクランやギルドを運営はしてはいたが、それほど人と会話することは好きでは無いので凄く楽しいという感じではなかった。そんなときにやって来たお客の中にArcard(以下、先生)さんが居た。先生は病院を建設すると言っていた人で、私も先生の病院建設を見学したりして刺激を受け、それからものづくりの方法を勉強し始めた。私は今まで他のゲームでのレベルデザインのエディターを使ったり、The Sims2で家を作り公開していたこともあって、元々建物には興味があったのだが、土地を持たないので砂場で作るのが面倒でやっていなかった。そんな私の事情を知ってのことか、setteのオーナーのLoveさんはsette内で建物を作ることを許可してくれた。そのときに作り始めた寮は実は未だに完成していないのだけれど、それが私の建築の始まりでした。この時点で3masさんにもものづくりの基礎的な情報を貰ったりもした。
建築生活については次回以降。
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